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特に先の世界戦の前後からの、亀田興毅についての各メディアの報道合戦には凄まじいものがある。日々、新たな情報が発信され、我々の「脳」内に刷り込まれていく。そして、それぞれの脳内におぞましいモンスター像が出来あがる。それは明かに「虚像」である。しかし、殆どの人は、その「虚像」と「実像」の区別がつかない。それは無理からぬ話しではある。我々は、メディアからの情報以外に亀田興毅について知るすべを持たないのだから。 しかし、ふとした瞬間に、彼の実像の根幹となる部分の一端を垣間見せてくれることがある。私はこれを「本質」と呼んでいる。これまで私が見てきたその亀田興毅の「本質」なるものを、次ぎに列挙してみよう。それらを繋ぎ合わせるとおぼろげながらでもその「実像」が浮かび上がってくるのではないか。 彼は、チャンピオンになるずっと以前、よく試合後の勝利者インタビューでこう答えていたのを思い出す。「まだまだやな。もっと練習せなあかんな。」彼は自分が「天才」でないこと、そして「努力」でしか自分が強くなれる方法はないことを良く知っている。少なくともボクシングに対しては真摯に取り組み、そして「謙虚」である。プロ野球解説のゲストに招かれた席でこういうことも言っている。「野球はええな。毎日これだけのお客さんが見に来てくれて。ボクシングもいっぱいお客さんが見に来てくれるように盛り上げていかなアカンな。」この切実なる思い。「っしゃーオラー!」「どんなもんじゃーい!」これもボクシングを盛り上げる為、「ファンサービス」の為にやっていること、少なくとも私にはそう見える。しかしメディアは彼のシャウトを強調する形で報道する。その方が面白いからだ。彼がファンサービスのつもりでやっていることが、皮肉にも彼の虚像を作り上げることに一役買ってしまっているのだ。 先の世界戦の計量時、キューピー人形のお返しにと「おしゃぶり」と「紙おむつ」をプレゼントされた際、彼はマジ切れし、それを叩き落としてしまった。この光景を見た時、「明日の試合、負けたかな。」と一抹の不安が脳裏をよぎった。案の定、1Rにいきなり痛恨のダウンを喫することになる。(結果的には彼がチャンピオンになるのだが。)彼は精神的にまだまだ「未熟」である。しかし、これも彼の本質の一つなのだ。おしゃぶりを口にくわえ、おどけて見せるくらいのことをしてほしかった。 彼に対する大方のイメージ、横柄で敬語もろくに使えず、礼儀知らずな奴、概ねこんなところだろうか。しかし、彼と直接接したことのある人たちは皆一様に同じことを言う。すごく「礼儀正しい」と。これは彼の本質であると信用できるのではないか。彼の「礼儀正しさ」については、おまけのような報道の仕方であるから、誰の心にも深くは残らないのである。 彼は、12才の時からすべてを犠牲にして、親父の指導のもと、ボクシングだけに打ちこんできた。「東大に入学させる為に、無理やり塾に通わせる親達とどこが違いますか?」これも二宮清純氏の言葉である。そう、彼は一種の「エリート」とも言える。又、ボクシングに集中する余り、それ以外のことについては極端にないがしろにされてきた。色々な誤解はこの「無知」から生じているのだと思う。 この辺りで、「本質」のキーワードをまとめてみよう。「努力」「謙虚」「(ファン)サービス精神」「未熟」「礼儀正しさ」「エリート」「無知」・・・、もちろんこれらは彼の本質の一部であって、まだまだ我々に見せていない「顔」はたくさんあると思う。しかし、メディアが作り上げてきた虚像とはまったく正反対であることも事実である。 メディアにとって都合の良い亀田興毅像というものがある。ゆえに報道は常に扇動的である。報道にまったく扇動されずに生きることは不可能である。しかし、出来る限りその本質を見落とさずにいきたい、そして、一人でも多くの人にその本質を理解してほしいと願うのである。 皆さんはどうお考えであろうか。 |
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